リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

命、経済、そして心。今日の積み重ねが、未来につながる事を。

こんばんは。

先週、緊急事態宣言が5月一杯まで延長されることが決まりました。

新型コロナウイルスの感染拡大に終息の目処が立つ事はおろか、その輪郭すら未だ終息ない現状を見るに、多くの国民が覚悟していたことでしょう。

その判断についての是非を述べるような専門的な知識を持ち合わせていない人々も、やむを得ないものとして受け入れました。引き続き不要不急の外出を控え、出来る限り他人と接触する機会を減らすことで、自身のみならず、近い人の健康、安全を脅かすことを避けたいと思う。

ただ、議論の対立構造になっている経済活動の緩和もいよいよ無視できないところまで来ています。

 

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命か経済か。

どちらが正論化ではなく、どちらも正論。おのおのの置かれている立場や環境によって、守るべきものの優先事項が違ってくるのは当たり前だからです。

日に日に増える企業の倒産や、まだ倒産に至らずとも、瀬戸際に追い込まれて悲観に暮れる経営者の姿をニュースで見るたびに、除菌作業を徹底した上で事業を継続、再開したい考えも至極最もたど思う。

だからこそ、本来なら国がこうした問題に対して誠実に手を差し伸べなければならないのに、素人が見てもあきれるほどの中途半端な対応が元凶となって、よけいに対立構造の過熱化を招いています。

なんともやるせない。

納得できるような支援や保証なき我慢。

我々の堪忍袋は日を追ってふくらんで来ている。

人間は他人に我慢を強いることは比較的容易にできても、その逆、自らの意思ではない我慢を他者から強いられることはそう簡単に受け入れられない生き物なんです。

ただでさえ、ストレス社会といいわれる現代に、やはりというか、我慢のはけ口を無意識に求める動きも広がってきた。

自身の理念と反するものや、感染者への攻撃、あるいは過剰な衛生意識の強要や同調圧力。もちろん、一部には到低理解できない行動をとる人がいるもの確かだが、この前例なき事態にみんなが苦しみ、みんなが被害者である前提がどこかに忘れ去られてしまっているような。

 

脅威なのは、ウイルス感染や経済の悪化のみならず、むしろ人の心が壊れていかないかということだ。

日常を突然襲った非日常。それも全世界的に。

緊急事態が解除されたとしても、いつまで続くかわからない感染リスク。

景気悪化による収入の不安。

提言される新たな生活様式

人間の文明を進化させてきた 「交流」 の形すら変わるかもしれない大きな岐路に差し掛かっている。

がけど、いくら考えたところで仕方ないこと。不安に駆られる分だけ心を壊すことにもなりなねない。

ならば、無理にでも損をするような思考は隅に追いやり、

心を強く持って今日を生きることに集中しよう。

今日の積み重ねが、未来につながる事を。

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