リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

我が家は貧乏。

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子供の頃から社会人になるまで、私の家はずっと貧乏でした。

そう思っていました。親は年がら年中、「お金がない」とこぼしていたように思う。実際、住んでいた家は会社の社宅で築年数も古く、今で言うウサギ小屋に毛が生えた程度。

さらに都心まで1時間はかかる不便な立地。そもそも、我が家は兄弟4人含めた6人家族。食べていくだけで大変だろうということは想像に難しくない。

だから、子供時分に何かを買って欲しいとねだった記憶はないし、衣服や持ち物全般にわたっても質素そのものでした。しかし、そんな貧乏でも親はそう思わせるようにしていたらしい。

それがわかったのは、兄妹が順次大学の入学期に差し掛かったときです。今よりは安いとはいえ、当時でも私大へ4年間通うとなると、入学金・授業料は合計で300万円近くした。それでも上は次々と大学へ入学していく。特に私は、東京の大学へ行かせてもらったので下宿などの生活費も仕送りしてもらっていました。兄妹は年齢が近く、短期間で我が家の教育費の支出は単純計算で、1000万円近くになっただろうか。

親は平均的なサラリーマンだったので、車や根を張るものの類は一切買わない堅実ぶりだった。

収入が多くなると、お金の使い道、いうなれば人間の生活パターンは2つに分かれる。散在する人と、堅実に貯める人。稼いだお金だ。豪華な家に住みたくもなるし、高い車や服なんかも欲しくなる。子供にいくつもの習い事をさせる。不自由のない生活ぶりを受けた子供は、次から次へと欲しがるものをねだるようになる。一度身についた贅沢は忘れられない。親の財産でも相続しようものなら、パッとムダ遣いすることも珍しい話ではない。

一方、お金を稼ぐことの大変さを理解している人は、使い方も考える。だが、使うべきところはきちんと使う。ようするに慎重あるいは堅実なんだ。

金銭感覚は非常に子供に引き継がれやすい。

自分たちが稼いだお金をどう使おうが、どう残そうがなど、他人がとやかく首を突っ込む話ではないのだが、イザというときに頼りになるのはお金であることは事実だと、今のコロナ渦中の毎日を過ごすにつけ再認識しました。