リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

過ちを改めざる・・・・

こんばんは。

「私の認識が間違っておりました。以後、改めます」(深くお辞儀)

これまでの社会人生活のなかで何度口にしてきたかことでしょうか。

あまり褒められたものではないかもしれませんが、このご時世にこのフレーズ、本来的な意味で非常に重要であると思っています。

認識違いは認識違いとして潔く認めつつ、正しい方向性を模索することを心がけて生活しています。

私は今、ある企業に勤めていますが、非常事態宣言の前の3月、ある得意先を訪問したときのこと。いつものとおり、応接室に通された。通常、大きな会議テーブルを挟んで対面するんですが、先方の役員さんいわく「距離を取りましょう」。その時テーブルの対角線状に座りながらの対話となりました。その距離約2m。

「そこまでやらなくても・・・」と思いましたが、今やソーシャルディスタンスは常識。あの時点で「できることは全てやりましょう」と言ったその役員・企業の危機管理意識に感服する。今は来客も減っているが、弊社でも遂行するようになった。

宣言後の休日、河川敷公園に散歩に出かけました。

皆さん在宅勤務疲れなんでしょうか、普段の2倍の人出が見られました。走ったり、野球を楽しんだり、楽器を弾いたりと思い思いに楽しんでいます。土手沿いにはカップルが等間隔に並んでいて、思わず京都の鴨川を思い出した。その光景を見て「活気がでてきたな」 「微笑ましいな」などと率直に感じました。

しかし、ニュースでは行き場を失った人々が大挙して公園や観光地などに押しかけることで、感染リスクを拡大して、地元住民を不安に陥れていることを知りました。一人ひとりの軽率な心理が集団の誤った行動を生む。「自分ひとりぐらいは大丈夫」が蟻の一穴で全てを崩壊させてしまうことを肝に銘じなければならないでしょう。

街を走るランナー・ライダー達のマスク着用率が上がってきました。ちょっと前まで「開放空間だから大丈夫」「息苦しい」と言ってノーマスクで走っていたのは何を隠そう、私でしたが、感染エチケットを守るために、今は着用して走っています(ただし、海外での死亡事故があったように、マスク着用の危険性を指摘する専門家もいます)。

ちなみに息苦しいのはマスクのせいではなくて、単なる体力不足が原因だったような・・・・・。

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孔子の昔から「過ち改めざる これを過ちと言う」 というではないですか。敵は見えない。刻一刻と変化する情勢と常識のなかでは、誰にだって判断を誤る可能性があります。情報をもたない我々のような一般市民は当然のこと、政治家も行政家にも起こりえる。大事なのは、違うと思ったらそれをすばやく認め、そして改め、そこからベターな策を選択する柔軟性を持つことです。

いつまでも自らの考えに固着したり、過ちを認めないことが、なにより質が悪いでしょう。