「人から言われると意味がわからずに困惑したり、イラッとさせられたりするカタカナ語」について。
こんばんは。
数年前、 「人から言われると意味がわからずに困惑したり、イラッとさせられたりするカタカナ語」について。・・・
ある面白い調査がありました。
その中で多くの票を集めたひとつが 『エブデンス』。
証拠・根拠・証言、形跡などを意味する言葉ですが、私はこれまで一度も使ったことがありません。
さてと、この前、パソコンで作業しているとき 「えび」 で始まるワードを入力することがあった。その際、変換候補としてエビデンスが出てきたので冒頭のアンケートの事を思い出したんですが、エビデンスは2番目でした。
で、1番目にでてきたのが ”海老で鯛を釣る” でした。
この意味は言わずもがな、わずかな労力や品物で、多くの利益を得るの例えである。
ちょっと話はそれましたが、先のアンケートの際に出てきていたほかのワードは 「コミット」 「スペック」 「アジェンダ」 「コンセンサス」 「アカウンタビリディ」。
聞きなれたフレーズからそうでもないものまで。さりげなく使うとインテリジェンスに見られるかもしれませんが、もちろん、知らなくてもさして問題ではありません。
最近はわざわざ変換する必要性がないようなカタカナ語が、頻繁に洪水のように溢れてています。記憶に新しいところではコロナウイルス対策中の某知事が好んで発したフレーズの数々。
基本、日本人に対して伝えるのに、なぜわざわざわかりずらくするのでしょうね。個人的に考えるに「単純に格好良く見せたいから」 「古くからあったものを新しく見せるため(中身は同じ) などでしょうか。
だとしたら、あまり意味のあることではないでしょう。
「自分は西洋語や文化を知っているんだぞ」 「君たち、いまどきこれぐらいの言葉は知っておいてよ」的な自己顕示欲が見え隠れする。
誠実にコミュニケーションを取ろうとの意識が欠如しているうえ、相手を思っていないようにさえ感じてくる。
カタカナ語が氾濫することを後押ししている原因は、おそらく役所にあるのかもしれない。確かに、今はブローバル化が進んでいるし、フレーズだけ見ればスマートな感じもします。
だけど、「国際交流事業」 を 「国際文化コミュニケーション事業」 と言い換えたりする必要性は特にないし、ほかでも挙げればきりがない。
そして、給付金支給にも関わる「マイナンバー」。では日本語で表記したらどうなるか。
「国民管理番号」 などになるのかな。なるほど、それではあまりにイメージが悪く、世論の猛反発にあって導入予算の獲得はかなわなかったでしょう。
カタカナ語を使ってマイルドに見せたことで数千億円の予算を得たのは、まさに ”海老で鯛を釣る” の手法であったのかな。