言葉は生き物、言葉は「正しく使う」ことではなくて、「言いたいことを伝える」ために使うもの。
ことばは生き物
「社長が、昇進祝いに祇園の寿司屋でご馳走しようというから浮き足立った。
その夜、その寿司屋に出向いたところ、門構えが立派で敷居が高く思い、まだ社長が来店していなかったらどうしようかと店内に入りにくく、
店先で手をこまねいていた」。
先ごろ、文化庁は2020年度 「国語に関する世論調査」 の結果を公表しました。
さて、そこで上記の文。
皆さんはさっと読んだ感じで、違和感覚えて所はおありでしょうか?
また、あるとしたら何箇所あるでしょう。
まず引っ掛かるのが 「浮き足立つ」。
本来は 「恐れや不安を感じ、落ち着かずそわそわしている」 ことを
表すんですが、回答者は26%にとどまり、
「喜びや期待を感じ、落ち着かずそわそわしている」 との回答者が
実に60%を超えました。
次いで 「敷居が高い」。
これも 「相手に不義理などをしてしまい行きにくい」 が正しいんですが、正解率は30%に満たず、
56.4%が 「高級すぎたり、上品過ぎたりして、入りにくい」 と答えました。
では、 「手をこまねく」はどうか。
本来の意味は次のどっち?
(ア)何もせず傍観している
(イ)準備して待ち構える
正解としては (ア) です。
よって冒頭の文中の慣用句を本来の意味で読めば、
「浮き足立つ」 と 「敷居が高く」 の2か所の使い方が誤りで
「手をこまねく」 は正しいとまります。
但し、文化庁はこの世論調査のなかでどちらが正しいという指摘はしていません。
本来の意味か、そうではないかという指摘にとどめています。
また、同調査内で 「今の国語は乱れていると思うか」 との問いに対して、
「国語が乱れている」 と思う人の割合が20年前からおよそ20%減ったことがわかった。
文化庁は 「SNS等で様々な表現でやりとりされるようになって、寛容度が高なったのでは」 と分析する。
言葉は生き物なんですね。
時代とともに新しい表現が生まれて世に浸透する一方で、
時代に適合せずに消えていく言葉もあります。
また、本来に意味が廃れ、当初は異なったとされていた使い方が
一般的に認知されていくこともあります。
「敷居が高い」 は、20代・30代の8割以上が本来の意味ではない、
「高級すぎるが故」 と解釈しています。
そして、そう理解する者同士の間で使われていくと、
それが一般的となって、何の疑問も抱くことがなくなる。
そもそも 「言葉の本来の意味を考えて使う」 ことが果たしてどこまで重要なのか。
曖昧、あやふやであっても意図が伝わっていれば結論的に問題はないのでは。
言葉は 「正しく使う」 ことではなくて、
「言いたいことを伝える」 ために使う。
しきたりに縛られず、自由な表現で・・・。
と、無理やり前向きにまとめてみましたが、
なんとも複雑な心持になっていしまいます。
みなさんはどう思いますか?