最後の授業
ようやく入梅も間近。
憂鬱な季節の時期ですね。テレビを見ていると、ウクライナは天気もよく
晴れていました。首都キーウでは戦争中とは思えない穏やかな天気でした。
首都をキエフからキーウに読み方を母国語にしてようやくなじんできましたね。
ロシア語読みはもういらないでしょう。
同じヨーロッパのドイツでは、ドイツ語の響くところ、すべてドイツになれ!
と19世紀初頭に、ドイツの愛国家はこう鼓舞していました。
言語学者フンボルトも、ドイツは一つの国民、一つの民族、一つの国家。
ドイツ(プロイセン)の教育改革を推進していました。
当時のドイツはフランスのナポレオンの支配下にあって、ビスマルクがプロイセン首相
としてドイツ民族国家を形成するのは50年も先の話。冒頭のドイツ語をロシア語に
置き換えてみると、21世紀のナショナリズムは19世紀のそれとそう変わらないように思えてきます。言語が民族的枠組みとなるなら、国語教育は祖国愛を内面化するひとつの手段です。
しかし、言葉も時代によってそれぞれの持つ意味合いを変えてきました。
日本語の別れの言葉 「さよなら」は、「さようであるならば」から転じた言葉といわれています。
本来、先の事柄を確認して、後続の事柄につなげる接続詞的な言葉であって、
「さらば」も同様。
「うっせえわ」に始まり、「リアル二刀流」「親ガチャ」といった昨年の流行語。
「炎上」「バズる」といったネット上の俗語。
こうした新しい言葉を加えながら、日本語は日々変化しているんですね。
それは、日本語の乱れではなくって、日本語を使う人の共通認識の変化なんですね。
エレガンス、エスニック、レトロなんかのファッション用語も、時代によって意味するところは違っているんでしょうか。
ちなにみエレガンスをファッション用語辞典で調べてみると、優雅、優美、上品の意味で、ファッションのエレガンスとは時代を問わず求める最高のものを指します。
時代の求めるものが何かによって、ファッション界のエレガンスも変化するイメージ。
さて、プロイセンのビスマルクは富国強兵を進めてオーストリア主導のドイツ連邦を
1862年に解体して新たな統一ドイツを目指します。1871年に圧倒的な近代軍備でフランス帝国を破り、アルザス・ロレーヌ地方がドイツ領として割譲されました。
普仏戦争ですね。
フランスの小説家ドーテはこの地を舞台にした 最後の授業、という短編で、
国が奪われても母国語を忘れなければ、牢獄の鍵を握っているのと同じ、と書いていました。