大阪都構想 - 東京一極集中 - の続き・・・ 「工場三法」とは
大阪都構想 - 東京一極集中 - の続き・・・
前回、東京一極集中の完結編を書きましたがこれでは終わりではありません。
東京一極集中の元凶は、戦時中の 「1940年体制」 なんだ。と
完結編に延々と説明しました。
ただし、大阪に関してはもう一つ大きな原因がある事を説明する事を忘れていました。 大阪に住むものとしては。
それは 「工場三法」 という法律の存在でした。
これこそが大阪の衰退を決定的にしたんですね。
工場三法とは、何でしょう。
それは、工場等制限法(1964年)、工業再配置促進法(1972年)、
工場立地法(1973年)という三つの法律を指します。
都市部で産業と人口が過度に集中して、公害が深刻化したために、
都市の健全な発展を目指すための法律なんです。
工場制限法は、人口・産業の過度の集中を防ぐため都市部に制限区域を設けて、その制限地区で原則1000㎡以上の工場、大学の新設・増設を制限したもの。
工業再配置促進法は、工業が集積した地域から集積が低い地域に工場を移転・新設する場合に、事業者に補助金等の支援措置を実施するもの。
工場立地法は、中・大規模工場を新設・増設する場合に、生産施設に面積制限を課して、一定規模の緑地、環境施設の確保を義務付けるものなんです。
これにより大阪都心部から近畿以外の地域や海外へと工場の移転を余儀なくされ、近畿圏の産業は空洞化した。
大阪の発展は法律の力で抑制されて、すっかり衰退させられてしまったんです。
もちろん首都圏にも工場三法は適用されたんですが、本社機能を東京へ集約する政策のおかげで影響はなかったんです。
工場が出て行った代わりに、大阪発祥の企業が相次いで東京へ移転して来てくれたからなんです。
さらに驚くべきことに、1966年には中部圏開発設備法が制定されたんです。
近畿圏の工業の発展を抑制する一方で、中部圏では積極的に開発を進めようとしていたんです。
何の恨みかは知らないが、どう考えても大阪を狙い撃ちしたとしか思えない。
その後、工場等制限法は2006年に廃止されたんです。
現在は工場立地法のみが生き残っているんです。
大阪では都市再開発がようやくスタートし、グランフロント大阪やあべのハルカスが完成しました。
しかし、だからといって大阪に本社を戻す殊勝な心がけの企業などあるはずがないですね。
今更何のメリットがあるというのか。もはや時すでに遅しです。・・・
統計局の住民基本台帳人口移動報告によりますと、
東京圏では今年7・8月に転出超過が続きました。新型コロナで転居してくる人が減って、出て行く人が増えたためです。
リモートワークで出社せずとも仕事が可能になると、一極集中も少しは
緩和されるかもしれないが、政策としてではなくて、コロナ頼みとは情けない限りですね。
なお、住民投票で否決された 「大阪都構想」 は、現行の法制度での
二行政解消といった行政改革が主眼であって、首都機能の一部移転や副首都への言及もなくて、一極集中の是正とは関係なさそうでしたが。
大阪も悲惨な道を歩んでいますね。(最終完結編でした)