リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

東京の人口が半減したら・・・

パンデミックで世間は騒然としている。

緊急事態宣言も慣れてしまって、言葉遊び。

アルマゲドンが来ない限り東京オリンピックは開催する。

 

なんか有事ではないような気軽な雰囲気・・・・

 

考えてみた。

もし都内の人口が1年ほどで4割減少したら、都知事は都政をどう切り回すのだろうか。

そんなたわいもないことを考えてみた。

明治維新宣言直後の江戸がそうだったんです。

明治維新150年 幕末・明治 ―激動する浮世絵 | 太田記念美術館 | 美術館 ...

 

幕末の江戸人口は100万人超。その半分の約50万人は武家でした。

3万人の旗本御家人、参勤交代で江戸に滞在していた諸大名とその家来、家族などです。

東征軍が1868年4月21日に江戸城に入り、幕府から朝廷に権力は移った。

江戸在住50万人の武家生活は大きく変わっていきました。

旗本御家人のうち、はぼ半数の1万4000人とその家族は、徳川家に付き従って静岡に移住していった。帰農商の道に進んだ者が約4500人。新政府の朝臣として帰順し、江戸に残った旧幕臣は約5000人といわれている。参勤交代の義務がなくなった全国の大名も帰国したため、

江戸の人口は1年ほどで67万人ほどになった。4割近い人口の急減です。

武家に奉公していた百姓・町民も職を失い、武家を相手に商売していた町民たちもこの影響を受ける。江戸は一気に不景気となり、新政府は失業者を江戸から追い出す政策をとった。

藩士や旧幕臣の不満が高まる。相良総三(さがらそうぞう)率いる赤報隊も新政府は利用の果てに偽官軍扱いした。山口では奇兵隊が新政府に見捨てられたと反乱を起こす。

西南戦争終結するまで江戸の治安の悪化は止まらなかった。

一方、旧江戸城は「皇城」として称して天皇が住まいし、城内に役所も置かれた。薩長と手を組んだ尊嬢派の公家が旧幕閣の屋敷に移り住む。有力な公家ではない中下層の公家も番町や駿河台方面の旧旗本屋敷に移り住んできた。南町奉行所薩摩藩屯所となり、長州藩は大手御門前に上屋敷を得た。

維新を境に、江戸の町では会津など朝敵藩が追われ、公家や薩長土肥が主要地を占めていく。

江戸庶民はこうした変化を苦々しく思ったに違いない。江戸の人心をいかにしてつかむかが、新政府の重大事項になっていった。このため、新政府は天皇の権威を借りることに力を注いでいく。天皇行幸もその一策。1869年(明治2年)の東京遷都、版籍奉還。大名は知事となり、東京は統治の要として「東京府」となる。

東京都の人口は現在1395万人。新型コロナで最近は転出者が転入者を上回っているが、日本最大都市ではることには変わりはない。維新から150年以上が経過した今、何かしらの事変によって500万人を超す人間が東京からいなくなったとしたらどうなるのか。

税収は激減し、警察機能も保てなくなり、治安も悪化するでしょう。

しかし、時代は繰り返されるとばかりに状況を大きく変えるような新しい動きも起こるのでは。

維新の空想は尽きません。