昔学生のころを思い出した「手段債務と目的債務」
学生時代、経営学部に在籍していましたが、好んで法学部や経済学部の講義もよく聴講していました。その理由は、日頃親しんでいる発想と異なる視点に触れて、多面的にものごとを見ることができるようになると考えたからです。
経営学の概念の一つに、「サンクコスト(埋没経費)」というものがあります。
あるプロジェクトで、すでに投下した費用があります。そそて、状況が変化し、そのプロジェクトの成功の可能性が低くなった。しかし、それまでに投入した費用がもったいないという理由で、追加投資を続けることがよくあります。いわば、「SUNK(沈んだ)」「COST(費用)」が人質になってしまうんです。これを学んだとき、このサンスコストにすいて考えた方は、人生全般にわたって役に立つと思いました。
法学部の民法の講義では、「手段債務と目的債務」という考え方が新鮮でしたね。
これは、フランス民法に由来する講義学上の概念で、世の中の「債務」を見極めるのに大事な考え方。「手段債務」というのは、債務者に対してある結果を実現する努力を要請するものです。
例えば、医療に関わる債務は、医師は結果的に患者の病気を治すことができなくても、仮に患者が亡くなってしまったとしても、診療報酬(治療費=債権)を受け取ることができます。
他方、「目的債務」というのは、ある結果が実現することを要求するものです。大工がいくら努力しても、建築物が完成しなければ、建築債務を履行したとはいえない、という考え方。
この「手段債務と目的債務」に分けて考える方法も、世の中の全般のことを考えるときに大事で役にたつと思ったんです。
例えば、国民が政治家に負託している債務は、手段債務なんでしょうか?目的債務なんでしょうか?国民が期待しているのは「目的債務」でしょうね。
「国を良くして欲しい」「安全な社会にしてほしい」「コロナ禍を収束させてほしい」
とうい願いは、実現しなければ履行されたことにはならない。それに対して、結果が伴わないで「対策に全力を傾けてきた」という答弁は、「目的債務」の考え方に対する回答にはなっていない。
「手段債務と目的債務」、言葉をし別して使うとで、世の中がよりクリアに見えてきます。明確な言葉をベースに対話することで、事態の共通の理解が進すんで、コミュニケーションが実りあるものになってくでしょう。
今日、会社でグループ会社の本社異転の事務所移動の話をしていたんですが、そのグループ会社のやつが、何かしらいちゃもんつけてくるんで、腹が立ちました。言葉尻の揚げ足を取ったりまるで子供のけんかみたい。一生懸命に手伝ってやっているのに、もうこのグループ会社に協力するのはやめとこおっと。ほんとに腹が立つ
本社に来てもかまってやらないからな。
などど、大人気ない自分でした。