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ゲルニカ を知っていますか

ゲルニカ って知っていますか?

 

1936年7月。

スペインで内戦が勃発して、共和国軍とフランシス・フランコ率いる右羽氾反乱軍

 

とが争っていました。フランコを支持するナチスドイツ軍は37年4月、スペイン・バスク地方の小さな町ゲルニカに無差別空爆をくわえ、町は壊滅します。

 

死者は2000人、全員非戦闘の市民でした。ナチスは爆弾と焼夷弾との併用効果を

 

知るため、住民に対して実験したといわれています。このゲルニカ爆撃を描いたのが

ゲルニカ ピカソ

 

 

ピカソの 「ゲルニカ」です。同年7月のパリ万博・スペイン館の壁に展示されました。

 

「私たちはコーヒーを飲みながら新聞で読んだ。 - ヨーロッパのどこかで、殺人部隊が人々をアリの群れのように踏み潰していると。腹をえぐられた子供、首を切り落とされた女だとか、・・・だが、スペインは遠い。国境の向こうだ。

 

コーヒーを飲んだら、自分の仕事にいかなかればならない。よそで何かが起こっていることなど、

考える暇もない。そうして私たちは良心の呵責(かしゃく)をおしころしてしまう」。

 

フランスの詩人ポール・エリュアールも、「ゲルニカ」という詩でファシズムを非難しました。

しかし、39年3月に兵力に劣る共和国軍は破れてフランコ政権が誕生、36年間」もの

 

長期独裁政権を敷く。軍や憲兵を使った厳しい統治、報道の自由を抑制して、汚職

 

権力がもみ消しました。フランコ政権をイタリア、ポルトガルも支援、第二次世界大戦

 

に向けて欧州の緊張度合いは高まります。

 

フランスにはレジスタンス時代1940~45年の史跡が今もあちこちに残っています。

 

ピエル・ヂュランの「レジスタンス」という本のはじめには、ヒットラーの、ムッソリーニの、およびその同類のファシズムは、苛酷な闘争と多くの犠牲のおかげで打倒された。

しかし、ファシズムという野獣には、生まれ変わる恐るべき力がある、と書かれています。

40年6月、パリはナチスに占領されたが、フランス人の抵抗運動は続いて、大戦後も

 

アルジェリアチベットアフガニスタンなどの多くの国と地域で侵略に対する

 

レジスタンス運動が繰り返されてきました。

 

「死にたくない」と防空壕で涙を浮かべている子供。ウクライナを侵略するプーチン

 

に対して、世界の眼差しは一層厳しくなっています。1940年代の昔ならともかく、

 

2020年代になってからもこうした事態が公然と再現されようとは、多くの人が

 

思わなかった」でしょう。安定した道を歩んでいると思っていたが、突然のぬかるみに

 

落ちた感じです。夢でみました。人影もなく、悲しげな街に響くのは戦車の音なのか。

 

ウクライナの街はじっと怒りをこらえている。