世相はカーキいろ
今日は、昨日と一転して晴天に恵まれました。
日差しを見るのも久しぶりのようで、やっぱり気持ちいいですね。
ロシアの戦線が後退しているとの報道が相次いでいて、なんやらウクライナが
戦勝しそうな予感です。
たまったものじゃないのはロシア国民でしょう。専制主義のプーチン大統領に
半ば強制的に愛国心を植えつけられて、まるで恐怖政治。プロパガンダとはこういう
ものか。
日本でも太平洋戦争で同じことがありました。
日本がハワイ真珠湾を攻撃したのは昭和16年(1941年)12月8日。
グアム、フィリピン、年末には香港のイギリス軍も降伏させ、17年1月には
マニラを占領します。開戦当初は、向かうところ敵無し。神風が吹き勝った、勝った
と喜ぶ多くの国民。17年11月には、見渡すところ世相はカーキ色と描写されるほど
戦争一色になっていました。
19年6月。米軍はサイパンに上陸、沖縄も空襲されます。学童疎外が始まり、11月には東京がB29の爆撃を受けました。
20年8月に敗戦となりました。だけど、戦争が終わっても腹ペコの食料不足は続き、
庶民の生活は苦しいままでした。神風の吹かないわけをを振り返る、戦争は反対だった顔ばかり、配給で生きようとして死んだ記事、荒鷲は去年今年は闇市場、などの句が
読まれ、「字の戦争」に収められました。
御国のため、とい呪文に縛られ操られた結果、とんでもない人生をやらされてしまったなあという印象。
ことさらに愛国心、国歌、国旗と言い立てると、また、御国のため、もときた道と
教えてくれる。
ポツダム宣言受諾後、敗戦処理を担った東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣の発表した
一億総懺悔(ざんげ)は、戦争責任を政治家、官吏、軍人だけではなく、全国民も
同義的責任があると押し付け、責任の所在をあいまいにしたといわれています。
今私たちは、民主主義から、えたいの知れない道を歩んでいるのかもしれない。
降下していくことの気楽さに気づかないほどのスピードで。
社会学者の日高六郎氏は今から40年以上前にこう指摘していました。