人間関係のレッスン
真夏真っ只中、灼熱地獄。
暑すぎて、胸焼けがひどくなって戻しそうになって、食べられない。
どんどんスタミナが失われていきます。
こんな苛酷な環境の中、会議などでもストレスが溜まって、二重の苦しみになっています。
人間関係もなかなか難しい。周りから、空気読めと言われて、読んでみたら
おまえは自分が無いのか、と責められる。いったいどっちなんだと、ストレスがマックス。
自分でもちゃんとやっているのに、いつの間にか非難の的になることがありますね。
人当たりが良くて、寛大で包容力がある。公平な判断力もあって、大勢の意見を
まとめることに優れている人。そんないいひとを演じようという人がいるとしましょう。
本当は自分が批判されることを恐れて、相手の意見に合わせていただけ。でも、意見の
対立する人たちを仲裁するうちに、双方にいい顔をしていることがばれる。
どっちの味方」なんだ、と両方の信用を失う。がんばりすぎる人もぎこちない
人間関係を作ってしまいがちですね。努力家で責任感が強くて、すべてにおいて
完璧を目指す。理論的で効率的に仕事をこなす。甘えることも嫌いで、ねばならない、
と思い続けて仕事をがんばりすぎ、周囲からの休んだらというアドバイスにも耳をかさず、結局、限度を越えて体調を崩す。
ほら見たことかと、陰口をたたかれて、やりきれない思いを抱く。
いい人もがんばる人も、それでうまくいった時期はあったんですね。だけど、そのとらわれが自分を苦しめることになってしまうんですんね。
人間関係の最初は母子関係から始まって、家族、近所に人、同級生、先輩後輩と広がっていきます。
家族の中ではダダをこねる行為が許されても学校では許されず、自然に修正することで
精神的に成長します。人は就職、結婚、転勤、退職など、人生の節目節目で従来の
パターンを壊して、再構築していくんですね。
両親の仲が悪いと、子供は争いの匂いに敏感なるといいます。子供心に一触即発を
回避することが習慣化して、いい人を演じるパターンが出来上がる。
そうした環境でサバイブ(生き残る)していくための有効なスキルなら、演じることも
否定できない方法ですね。がんばりすぎる人は、がんばれば評価されると思いこんでしまうんですね。勉強ができる、容姿が優れる、運動能力が優れるなんかの条件下でのみ、自分は愛される資格があると感じるんですね。
だけど、本当の自分は何をしたかったのか、それは自発的な意思だったか、
誰かに巧みに操作されていたんのでは。モラルに反するハラスメント、嫌がらせ。
職場での暴言や陰湿ないじめ。精神的苦痛を感じるなら、そこはモラハラの海。
理不尽な攻撃に追い詰められたら、謝るふりをしてとりあえずその場を逃れる。
これも人生の泳法ですかね。嫌な社会ですけどね。